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和田 義盛


 わだ  よしもり
和田 義盛 (1147~1213年) 

 

和田義盛 

 

相模国の三浦郡和田を本拠地とする武士で、義盛は三浦義澄の甥にあたります。源頼朝の挙兵に義澄らとともに参加し、頼朝が安房国へ脱出した 後は常に頼朝に近侍してその信頼を得、のちに御家人の統制を行う侍所(さむらいどころ)の別当(長官)となりました。頼朝が死去し、義盛に替わって侍所別当に就いていた梶原景時が失脚すると、侍所別当に再任され、その地位を一層強固なものにしていきました。しかし、一族の中に源実朝の廃位と北条氏の排斥を企てた者が居たことをきっかけに、2日間で数千人の死傷者を出すほど大きな市街戦・和田合戦が起こります。義盛は三浦義村の寝返りもあって敗れ、敗死しました。

 

ゆかりの地

 

大倉幕府跡​
大倉幕府跡

鎌倉市雪ノ下3丁目

 

和田塚​
和田塚

鎌倉市由比ガ浜2丁目

 

 

 

 

▼そのほかの重臣たち
北条 義時
北条義時

北条 時政​

北条時政

安達 盛長
安達盛長
梶原 景時​
梶原景時

比企 能員
比企

三浦 義澄​
三浦義澄

足立 遠元
足立遠元

八田 知家
八田知家

中原 親能
中原親能

大江 広元
大江広元

三善 康信​
三善康信
二階堂 行政​
二階堂行政

 

 

 

 

 

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