相模国の在庁官人で、三浦郡を本拠とした武士です。源頼朝が挙兵すると、義澄ら三浦一族は石橋山に向かいましたが、川の増水に阻まれ合流できず、三浦へ戻る途中、武蔵国(今の東京都、埼玉県及び神奈川県の一部)の武士・畠山重忠(のちに頼朝に臣従)に遭遇し、合戦になります。さらに後日、平家の軍勢が三浦氏の本拠地・衣笠城に攻め入ると、老齢の義澄の父・義明は城に立てこもり、頼朝への加勢を託して自害しました。一方、義澄ら一族は海上へと逃れ、石橋山の合戦で安房国に敗走した頼朝を助けました。頼朝が没し、源頼家が鎌倉殿を継ぐと、鎌倉殿を支える13人の重臣に選ばれますが、翌年死去しました。その後、義澄の子・義村は、北条氏に協調的でその勢力を強めていきました。
法華堂跡(北条義時墓)
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大倉幕府跡
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来迎寺【材木座】
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北条 義時 |
安達 盛長 |
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梶原 景時 |
比企 能員 |
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足立 遠元 |
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三善 康信 |
二階堂 行政 |