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安達 盛長


 あだち  もりなが
安達 盛長​ (1135​~1200​年) 

 

安達盛長 

 

三河国(今の愛知県)を本拠とする小野田氏の分流の生まれであったともいわれますが、明らかではありません。藤九郎と称し、伊豆で流人生活を送る源頼朝を側近として支え、頼朝の挙兵に当たっては、相模国(今の神奈川県)や下総国(今の千葉県)の武士たちのもとを訪れ、参加を呼び掛けています。無量寺谷という谷の入り口付近にあったと考えられる盛長の邸宅には、頼朝も度々訪れていて、幕府成立後も頼朝に目を掛けられていたことがわかります。頼朝の死により出家し、新しい鎌倉殿である頼家を支える13人の重臣にも選ばれましたが、翌年、頼朝の後を追うかのように亡くなりました。

 

ゆかりの地

 

大倉幕府跡​
大倉幕府跡

鎌倉市雪ノ下3丁目

 

無量寿院跡​ 
無量寿院跡

​​鎌倉市扇ガ谷1-5-1​

 

 

 

 

▼そのほかの重臣たち
北条 義時
北条義時

北条 時政​
北条時政

梶原 景時​
梶原景時

比企 能員
比企
三浦 義澄​
三浦義澄

和田 義盛
和田義盛

足立 遠元
足立遠元

八田 知家
八田知家

中原 親能
中原親能

大江 広元
大江広元

三善 康信​
三善康信
二階堂 行政​
二階堂行政

 

 

 

 

 

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