北条義時や源頼朝の妻・政子の父で、頼朝が挙兵すると一族をあげて頼朝を支えました。平氏が滅亡し、頼朝とその弟・源義経が対立すると、時政は頼朝の代官として京都へ上り、政治的な交渉や京都の治安維持にあたりました。頼朝が亡くなると、2代目の鎌倉殿・源頼家のもと、13人の重臣に選出されますが、頼家の妻・比企氏との間に確執が生まれます。時政は比企能員を自邸に招き殺害、比企一族を滅亡させ、源実朝を鎌倉殿に立てました。その後、有力御家人の畠山重忠・重保父子を誅殺し、後妻・牧の方との娘婿・平賀朝雅(ひらがともまさ)を鎌倉殿に立てようとしましたが、政子・義時と対立して失脚し、退いた伊豆で10年を過ごした後、亡くなりました。
大倉幕府跡
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宝戒寺
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比企 能員 |
三浦 義澄 |
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足立 遠元 |
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三善 康信 |
二階堂 行政 |