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由比ガ浜・長谷・極楽寺のゆかりの地


 

  1. 和田塚
  2. 御霊神社
  3. 極楽寺

 

 

和田塚 

和田塚
鎌倉市由比ガ浜2丁目​(Googleマップで開く<外部リンク>

 

北条義時と和田義盛の武力衝突(和田合戦)の結果、和田一族敗死の屍(しかばね)を埋葬した塚として、伝承されています。和田塚に近い由比ガ浜一帯は、和田合戦の主戦場となった場所です。明治時代の道路工事で埴輪(はにわ)や多くの人骨が掘り出されました。

 


▶ゆかりの人物
和田 義盛
和田義盛

 

 

御霊神社

御霊神社
鎌倉市坂ノ下4-9​(Googleマップで開く<外部リンク>

 

鎌倉党の祖・鎌倉権五郎景正公を祀ります。鎌倉党は鎌倉郡などを拠点とした武士団で、梶原・大庭・鎌倉・長江・長尾氏等がいました。当社は源頼朝が鎌倉に入る前から鎮座していたと伝えられています。景正公命日の9月18日には、鶴岡八幡宮の放生会でかつて行われていた舞楽面の行列に倣った面掛行列が行われています。

 


▶ゆかりの人物
梶原 景時​
梶原景時

 

 

極楽寺

極楽寺
鎌倉市極楽寺3-6-7​(Googleマップで開く<外部リンク>

 

北条義時と姫の前の息子・重時の山荘に造られた寺院で、重時の息子・長時らによって律院となりました。周辺はもと三浦氏の所領であったとする説もあり、後に重時がこの地を獲得し、山荘を建てました。

 


▶ゆかりの人物
北条 義時
北条義時

 

 

 

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