つるがおかはちまんぐう
【日本遺産001】
国指定史跡、国指定重要文化財(建造物)
神奈川県指定史跡、鎌倉市指定天然記念物
鎌倉市指定有形文化財(建造物)
鶴岡八幡宮は、もとは1063(康平6)年に
源頼義が平忠常を打ち取れたことを喜び
京都の石清水八幡宮の分霊をひそかに勧請(※1)し
由比ガ浜辺り(現在、由比若宮のある場所)
にお祀りした鶴岡宮にはじまります。
それから約120年後の1180(治承4)年、
頼義の5代後にあたる源頼朝が鎌倉に入った時
祖宗(※2) を崇めるために鶴岡宮を
小林郷の北の山(現在の下拝殿付近)に
社をかまえて遷座しました。
1191(建久2)年に火災にあいましたが
頼朝は後ろの山の中腹を切開き
あらためて石清水八幡宮の分霊を勧請して
装いを新たに鶴岡八幡宮を創建し
現在の上下両宮の姿となりました。
ご祭神は八幡大神とされる
応神天皇・比売神・神功皇后の三柱です。
頼朝は平安京の
内裏(※3)にあたる位置に八幡宮をおき
自分の屋敷や幕府を
八幡宮の東側の離れたところに造って
お宮に仕える真心を表しました。
鶴岡八幡宮は
鎌倉武士の精神的団結の拠点であり
幕府の重要な政策は
そこで神意を問う形で実施されました。
頼朝が八幡大神を信仰したので
諸国の武士たちもこれを手本にし
国中に数多くの八幡大神を祀る神社が建てられました。
頼朝の死後も執権を務めた北条氏をはじめ
足利氏や豊臣秀吉・徳川氏などの
時の最高権力者も再建、復興に努めるなど
時代を問わず篤い崇敬を受けている
鎌倉のシンボル的存在です。
鶴岡八幡宮は
鎌倉幕府の守護神であると同時に
宗教政策の要として
幕府の各種公式行事が執り行われるなど
最も重要な位置にあった神社です。
頼朝が始めたとされる初詣をはじめ、
今もなお、年間を通じて
様々な伝統行事が行われています。
中でも幕府の最重要宗教行事として始まった
放生会(※4)の伝統をひく例大祭は
流鏑馬神事の奉納を含め、
毎年9月に実施されています。
鎌倉の歴史を見守ってきた
大石段横の大銀杏は
2010(平成22)年3月10日未明、
強風により倒伏してしまいましたが
現在はヒコバエ(若芽)が若木(子銀杏)となり
隣に移植された御神木(親銀杏)とともに
成長しています。
なお、幹の一部は鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムcafé&shop内で、
間近に見ることができます。
※1 神仏の分身・分霊を他の地に遷して祀ること
※2 歴代の祖先
※3 天皇の御所
※4 仏教の不殺生の思想に基づいて、捕らえられた生類を山野や池沼に放ちやる儀式
鶴岡八幡宮公式サイト<外部リンク>
鎌倉国宝館
<祭事>
手斧始式
除魔神事
節分祭
鎌倉まつり(静の舞・流鏑馬)
菖蒲祭
ぼんぼり祭(夏越祭・立秋祭・実朝祭)
例大祭(宵宮祭・例大祭・神幸祭・流鏑馬神事・鈴虫放生祭)
御鎮座記念祭