毎年10月、鎌倉宮境内にて行われる鎌倉薪能。
第1回が行われた1959(昭和34)年より受け継がれてきた鎌倉薪能は、薪能発祥と言われる奈良・京都に次ぐ長い歴史を有します。
薪能は奈良の春日大社や興福寺が発祥と言われ、今日のように能を主体とした形式になったのは室町時代からです。
この古くて優雅な行事を、古都鎌倉にも移そうと、1959(昭和34)年に鎌倉市や観光協会が主催して、鎌倉薪能が始められました。
古くから続いている能楽流派である金春流宗家の指導のもと、「いつまでも残る鎌倉らしい芸能を」との思いから始められた鎌倉薪能。
全国各地から観客が集まるなど初演から爆発的な人気を誇り、鎌倉の秋の行事として定着していきました。
1978(昭和53)年に出版された「薪能」(鎌倉市観光協会発行)によると、発足当時は1,000人以上、10周年記念公演で3,500人に到達、第17回の頃になると4万6,000人を超え、観光協会はハガキの山で埋まるほどで、入場券の抽選風景をNHKが取材に訪れたこともあるほどの人気ぶりでした。
(画像:抽選会風景)
鎌倉薪能の会場となる鎌倉宮は、1869(明治2)年に、明治天皇の勅命により創建された神社です。
ご祭神の護良親王は、後醍醐天皇の皇子で鎌倉幕府倒幕に貢献され建武の新政では征夷大将軍となりますが、これにより足利尊氏と対立する事となり鎌倉へ流され、尊氏の弟 足利直義によって鎌倉二階堂東光寺谷の土籠に幽閉されます。鎌倉幕府を滅ぼされた北条高時の遺児、時行が再び、数万の兵をもって鎌倉を奪還しようと攻め入り、この戦いに敗れ、直義は逃げ落ちる際、淵辺義博に親王暗殺を命じ、親王は御年二十八歳で悲運な最期を遂げる事となります。