やぶさめ
【日本遺産051】
武者姿の射手が疾走する馬上から
三ヶ所の的を射抜く伝統神事です。
古くは平安時代の記録に見えますが
鎌倉では1187(文治3)年8月15日、
源頼朝が鶴岡八幡宮の放生会(※1)に
奉納したのが最初といい
現在も鶴岡八幡宮の例大祭(9月16日)で
流鏑馬神事が行われており
鎌倉時代の息吹を感じさせます。
他にも除魔神事や舞楽など
鎌倉時代にさかのぼる行事が行われます。
例大祭における流鏑馬神事は
「神酒拝戴式」に始まります。
まず、下拝殿で儀式を行い
「馬場入りの儀」として神職の先導で
順序・作法を守って馬場を一巡します。
その後、鎌倉武士の狩装束に身を整えた射手が
「あげ扇」の故実(※2)を行って
颯爽と馬場(全長約260m)に駆け込み
鏑矢を抜いて約70m間隔で三箇所に立てられた
正方形の杉板の的を次々に射抜き
そのまま駆け抜けて行きます。
3人の騎射が終わると、装束を軽装に改め
やや小形の的板で、刃のついていない鏑矢を用いる
騎射挾物が十数騎行われます。
鎌倉武士は騎馬の合戦が得意で
特に馬に乗って弓を射る「騎射」の練習を
常々行っていました。
この流鏑馬を始めるにあたって
頼朝は1186(文治2)年
鎌倉を訪れた西行法師(※3)に
その故実を詳細に尋ねたといわれています。
流鏑馬を行うことによって八幡宮への信仰を深め
鎌倉武士の精神的結びつきを強めようとしました。
流鏑馬は、鶴岡八幡宮の馬場において
4月の鎌倉まつりでも行われています。
※1 ほうじょうえ:魚や鳥獣を放し、殺生を戒める儀式
※2 こじつ:古い規定や習わし
※3 さいぎょうほうし:歌人。かつて北面の武士・佐藤義清、すなわち上皇の御所の北面にあって御所を警護した武士であったが、23歳で出家。諸国を遍歴して歌を詠んだ。