ぜにあらいべんざいてんうがふくじんじゃ
【日本遺産007】
佐助ヶ谷の最奥に三方を尾根に囲まれ、
古くから隠里と呼ばれ、
福神の住むところといわれた凹地があります。
銭洗弁財天宇賀福神社は
そこに鎮座しています。
銭洗弁天のもとは
扇ヶ谷の八坂神社の末社でしたが
1970年に独立し、
名を銭洗弁財天宇賀福神社としました。
御神体は、体は蛇、頭は人の形をしていて
水の神とされています。
創建のいきさつについては、
次のような話が伝えられています。
平安時代の終わり頃は世の中が乱れ、
そのうえ飢饉が続いて人々の苦しみはひどく、
目も当てられない有様でした。
源頼朝は人々の命を救おうと
日夜神や仏に祈っていましたが、
巳の年の1185(文治元)年、
巳の月、巳の日の夜に、
夢にひとりの老人が現れ、
ここから西北の方に一つの谷があり、
きれいな泉が岩の間から湧き出ている。
今後この水を汲んで絶えず用い、
神仏を供養せよ。
自分はこのかくれ里の主の宇賀福神である。
と言って姿を消しました。
夢からさめた頼朝がすぐ家来をやって
その場所を探らせると、
確かに、岩の間から
綺麗な水が湧き出ているのが見つかりました。
頼朝はさっそく石工に命じて穴ぐらを掘らせ、
社を建てて宇賀福神をおまつりし、
毎日その水を運んで供えたところ、
天下は次第に治まり、
人々は安楽な日々を送るようになった
といいます。
その後、第5代執権北条時頼もこの神を敬い、
人々に参拝させました。
そして「銭をこの水で洗い清めれば
福銭となり、一家は栄え、
子孫は長く安らかになるであろう」と、
自ら持っていた銭を巳の日に洗って祈ると、
人々もそれにならって
銭を洗い清めるようになりました。
いつしか銭洗いの水と呼ばれるようになり、
今でもこの水でお金を洗う人が絶えません。
(銭洗水は鎌倉五名水の一つです)
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「銭洗弁財天」での正しいお参りを知ろう(るるぶ&more.)