鎌倉市二階堂421(Googleマップで開く<外部リンク>)
吾妻鏡に記された北条義時の危機を救った霊験(れいげん)をもつ戌神将を祀った大倉薬師堂が、覚園寺の前身とされています。現在の薬師堂に安置されている十二神将は室町時代のものですが、鎌倉北条氏の信仰を今日まで受け継ぐ寺院の一つです。
鎌倉市二階堂209(Googleマップで開く<外部リンク>)
源頼朝が奥州合戦で亡くなった人々を供養するために建立した寺院の跡です。発掘調査により、本堂・阿弥陀堂・薬師堂が複廊でつながり、池を臨む浄土式庭園をそなえた伽藍(がらん)であったとわかり、建物の基壇、池等が復元整備されています。本堂は二階堂とも呼ばれ、地名にもなっています。近辺に居を構えた藤原行政は二階堂氏を称しました。
源 頼朝 |
二階堂行政 |
鎌倉市十二所32(Googleマップで開く<外部リンク>)
3代将軍源実朝が暗殺されると、北条政子や北条義時は頼朝の遠縁にあたる九条頼経を京都から鎌倉に迎え、4代将軍に擁立しました。当寺は頼経が御願寺として建立した寺院です。五体の明王を祀ることから五大堂とも称されました。近隣に大江広元を祀る大江稲荷があり、観音堂にはその御神体も安置されています。
▶ゆかりの人物
九条頼経(三寅)