じょうみょうじ
【日本遺産013】
開基/足利義兼 開山/退耕行勇
1188(文治4)年、
源頼朝の重臣・足利義兼(※1)により、
退耕行勇を開山として創建されたと伝えます。
どっしりとした屋根の本堂が風格を感じさせる
鎌倉五山の第五位。
退耕行勇は鶴岡八幡宮の供僧(※2)で、
北条政子や源実朝にも厚く敬われた高僧です。
鎌倉時代に造られた
「木造退耕禅師坐像」が伝わっており、
国の重要文化財に指定されています。
浄妙寺は、はじめは真言宗の寺で
極楽寺といいました。
しかし、建長寺の開山蘭渓道隆の弟子である
月峯了然が住職となって
臨済宗の禅刹に改められ、
のち正嘉年間(1257-59年)頃に
寺号も浄妙寺と変わりました。
中興開基は足利尊氏の父・貞氏で、
室町時代は鎌倉公方(※3)の菩提寺として
栄えました。
外門・総門・山門・仏殿・法堂
方丈・禅堂・経堂などの伽藍や
多数の塔頭(※4)を持つ大寺院でしたが、
火災などのために徐々に規模が縮小し、
現在は総門・本堂・客殿・庫裏という
たたずまいとなっています。
寺の東の山に鎌足稲荷と呼ばれる
祠があります。
ここは大化の改新の立役者である藤原鎌足が
鹿島神宮に参詣に向かう途上、
夢のお告げに従って
鎌槍(※5)を埋めた場所といわれ、
諸説ある鎌倉の地名の由来の
一つになっています。
※1 北条政子の妹の夫
※2 神社で仏事や管理を行う僧
※3 鎌倉府の長官として関東を支配した足利氏の称
※4 禅宗寺院の敷地内にある小寺院や別坊
※5 穂先に鎌のような枝刃がついている槍
【稲荷山 浄妙広利禅寺】
国指定史跡
鎌倉市指定有形文化財(建造物)
鎌倉三十三観音第9番
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