じょうこうみょうじ
【日本遺産017】
開基/北条長時、北条時頼 開山/真阿
1251(建長3)年、真阿を開山、
第6代執権北条長時を開基として創建された
諸宗兼学の寺です。
亀ヶ谷坂の切通近くに位置し、
鎌倉の交通上および防御上、
重要な地域に営まれた寺院といえます。
鎌倉時代は北条氏の菩提所であり、
その後、室町時代には
鎌倉公方(※1)の菩提寺となりましたが、
この寺の興隆に力を注いだのは
足利尊氏と弟・直義で、
堂宇(※2)の建立、
寺領や仏舎利(※3)の寄進(※4)を行い、
鎌倉御所の保護のもとで栄えたといいます。
本尊は収蔵庫に納められている阿弥陀三尊像で
鎌倉地方独特の装飾技法である
「土紋」が施されており、
国の重要文化財に指定されています。
同じく収蔵庫にある矢拾地蔵は、
直義の守り本尊(※5)といわれます。
ある戦いのとき、
直義が矢がなくて困っていたところ、
小僧がひとり走ってきて矢を拾い集めて、
直義に差し出したことがありました。
不思議に思って地蔵を見ると、
矢を一本、錫杖とともに持っていた
という言い伝えがあります。
裏山にはやぐら(※6)があり、
網引地蔵と呼ばれる
石造地蔵菩薩坐像が安置されています。
昔、由比ガ浜で漁夫が引いていた網に
かかってあがってきたので、
これを網引地蔵と名づけ、
ここに安置したといわれています。
網引地蔵やぐらの真上に玉垣で囲まれた
冷泉為相の墓(宝篋印塔)があります。
為相は歌人で有名な藤原定家の孫です。
父・為家の死後、その領地などについて
異母兄弟の為氏と争ったため、
母の阿仏尼は
第8代執権北条時宗にこれを訴えようと
京都から鎌倉に来ました。
そのときの紀行文が有名な
『十六夜日記』です。
為相もまた母を追って鎌倉来て、
この近くの藤ヶ谷に住み、
藤谷黄門と称されました。
※1 鎌倉府の長官として関東を支配した足利氏の称
※2 堂、殿堂のこと
※3 釈迦の遺骨
※4 社寺に土地や財物を寄付すること
※5 生まれてから死ぬまでその人の一生を守り続けてくれる仏さま
※6 仏堂または供養、埋葬の場として中世に造られた石窟
【泉谷山 浄光明寺】
国指定史跡
国指定重要文化財(建造物)
鎌倉市指定有形文化財(建造物)
鎌倉市指定史跡
鎌倉市指定天然記念物
鎌倉三十三観音第25番
鎌倉二十四地蔵第16・17番
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