ごだいどう みょうおういん
【日本遺産018】
開基/藤原頼経 開山/定豪
1235(嘉禎元)年、
鎌倉幕府の第4代将軍藤原頼経により
将軍の屋敷の鬼門除けとして創建され
明王院五大堂と号します。
茅葺き屋根に蔀戸の
情緒ある本堂が迎えてくれる静かなお寺で、
本堂には不動明王など
5体の明王を祀っています。
鎌倉幕府では、将軍源実朝が殺されて
源氏の将軍が絶えたので、
源頼朝の遠縁に当たる藤原頼経を迎えて
将軍としました。
『吾妻鏡』によれば、1231(寛喜3)年、
将軍御願寺としての
五大堂建立の沙汰(※1)があり、
地相、方角、日時について
執権、連署(※2)をはじめ、
評定衆(※3)と陰陽師(※4)らが
巡検したとあります。
そして、中央に不動、東に降三世、
西に大威徳、南に軍荼利、
北に金剛夜叉の五大明王像をまつり、
定豪律師を招いて、盛大な儀式を行いました。
初代別当は開山の定豪で、元鶴岡八幡宮別当。
明王院別当職は四箇重職の一つといわれ、
鶴岡八幡宮、永福寺、勝長寿院とならぶ
重職でした。
しかし、江戸時代に本堂が火災にあい、
五大明王像は不動明王一体だけを残して
焼けてしまいました。
その後、本堂は再建され、
焼失を免れた不動明王像と
新たに造立された四大明王像を安置して
現在に至ります。
不動明王像は仏師肥後定慶が手がけたもので、
鎌倉幕府将軍の発願による像としては
現存唯一の作で、
国の重要文化財に指定されています。
明王院は創建当初から
鎌倉幕府の祈願所として、
数々の法要が行われてきました。
元寇(※5)の時には幕府からの依頼で
元軍退散の護摩法要が執行された記録が
残っています。
現在も、不動明王のご縁日である毎月28日に、
本堂で護摩法要が行われます。
これには誰でも参加できるため、
現代に生きる我々の願いも
叶えていただきたいと、
多くのお参りの人々でにぎわいます。
※1 主君の指令、指図
※2 執権の補佐役
※3 鎌倉幕府の最高政務機関
※4 陰陽道に関する事を司る職員
※5 鎌倉時代に元軍が日本に来襲した事件
【飯盛山 寛喜寺 明王院】
鎌倉三十三観音第8番