よしや のぶこきねんかん
【日本遺産043】
国登録有形文化財
鎌倉は優れた女性作家も活躍してきましたが、
その代表といえるのが、
少女小説から家庭小説、
『徳川の夫人たち』などの歴史小説まで
幅広く活躍した吉屋信子。
1896(明治29)年〜 1973(昭和48)年
長谷の閑静な住宅街にある吉屋信子記念館は
東京の喧騒を離れ、よりよい執筆環境を求めて
吉屋信子が66歳のときに構えた家です。
平屋建ての母屋は、
近代数寄屋建築の第一人者である
吉田五十八が設計したもので、
吉屋は「奈良の尼寺のように」と依頼した
と伝えられています。
生涯独身を通した吉屋信子は、
秘書の門馬千代とこの家に暮らし、
66歳から亡くなるまで
旺盛に執筆活動を続けました。
天井のデザインが特徴的な応接間や、
窓に藤棚が映る北向きの書斎など、
ほぼ当時のまま保存されています。
吉屋信子没後は鎌倉市に寄贈され、
市民の学習施設として
1974(昭和49)年の開館以来、
多くの人に親しまれ、利用されています。
また毎年春と秋には一般公開が行われ、
当時のままで保存されている書斎や寝室、
直筆原稿等の展示を見ることができます。
吉屋信子記念館(googleマップを開く<外部リンク>)