[妙本寺]比企一族ゆかりの美しい寺院
比企一族の聖地、日蓮宗「妙本寺」
鎌倉駅東口から徒歩約10分。駅前の喧騒が嘘のような静寂と豊かな緑に包まれた「比企谷(ひきがやつ)」に妙本寺はあります。開山は日蓮聖人、開基は、順徳天皇に仕えた儒学者、比企能本(よしもと)と伝えられています。能本は、鎌倉時代に鎌倉殿(=将軍)を支えた13人の御家人のひとり比企能員(よしかず)の末子です。
比企一族は、1203(建仁3)年に北条時政らにより滅ぼされますが、幼少で京都にいた比企能本が後年、鎌倉で日蓮聖人と出会い、自分の屋敷を日蓮聖人に献上したのが妙本寺の始まりとなっています。ちなみに、日蓮聖人は1260(文応元)年、能員に「長興」、母に「妙本」の法号を与え、寺の名前を「長興山 妙本寺」と名付けました。
広い境内には、持国天と多聞天を安置する「二天門」、日蓮宗の開祖である日蓮聖人(祖師)を祀る「祖師堂」、日蓮聖人銅像、2代将軍頼家と若狭局の嫡子である「一幡之君袖塚」、比企一族の墓、若狭局を祀る蛇苦止堂(じゃくしどう)などがあります。
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四季折々の景色に出逢える境内
妙本寺の魅力は、鎌倉駅周辺にありながら四季折々の花々、緑濃き木々、そして静寂に包まれたその佇まいにあります。春は、桜と海棠(かいどう)。夏は、新緑と淡い青の花を咲かせるアヤメ科のシャガ、鮮やかなオレンジ色の花ノウゼンカズラ、。秋は楓やイチョウの紅葉。冬の降雪時には水墨画のような雪景色が広がります。それらの四季彩を加えた総門から二天門まで奥行きのある参道と、祖師堂前の荘厳な空間は鎌倉の社寺の中にあっても屈指の場所といえます。
鎌倉で屈指の名所と知られている妙本寺の海棠ですが、こんなエピソードが残っています。作家の小林秀雄の著『中原中也の思ひ出』の中で、1937(昭和12)年に中原中也とともにこの美しき海棠を見上げた、と記されています。2人の文豪もこの地を訪れ、美しき海棠に目を奪われたことでしょう。今なお多くの参拝者の目を楽しませてくれます。 |
鮮やかな朱色と美しい彫刻の二天門
総門から境内までは、ゆるやかな登りで奥行きのある配置となっています。階段を上るとひときわ目を引く二天門。1840(天保11)年に建立されたものと伝わります。仏教の守護神である四天王のうち、持国天と多聞天(毘沙門天)を安置していることから、その名が付いています。弁柄塗りの朱色と中央の龍の彫刻が美しく、結婚式の写真を撮影する名所としても知られています。
比企家ゆかりの供養塔
祖師堂前には、一幡(いちまん:頼家公の側室であり比企能員の娘若狭の局との長男)の袖塚があります。一幡は、1203(建仁3)年9月2日の比企の乱において、小御所に火を放たれ命を落とします。焼け跡からは一幡のものとされる小袖が見つかり、一幡を祀るために建てられたのが袖塚です。
祖師堂に向かって右手には、比企一族を弔う四基の五輪塔、そしてその両脇に石塔が建っています。石塔には「本行院日学聖人」「輪成院日教聖人」と刻まれています。「本行院日学聖人」は開基の比企能本、「輪成院日教聖人」は現在の祖師堂を再建した妙本寺47代目のご住職だそうです。
若狭局を祀る蛇苦止堂(じゃくしどう)
総門から左にそれた場所には、妙本寺の守り神を祀る蛇苦止堂があります。若狭の局が、比企の乱において焼かれた屋敷の炎を避けるように飛び込んだとされる井戸が残ります。蛇苦止堂は、若狭局を守護神として今でも大切にされており、蛇苦止大明神のご縁日として、毎月1日(正月は2日)に例祭を執り行っています。
お守り、絵葉書などの授与品
開基の比企大學三郎能本にちなんだ「大學守」は、運気上昇にご利益があるとされています。
春夏秋冬でデザインの異なる「万葉御葩 絵はがき」*写真は妙本寺の春を描いた絵葉書です。
『万葉集』の研究者で、比企家の縁者でもあった仙覚律師が妙本寺に住んでいた縁で、境内を彩る四季の花々を描いたものです。「春」「夏」「秋」「冬」の4種を取り揃えています。拝観の記念にいかがでしょう。 |
基本情報
住所 |
〒248-0007 |
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アクセス |
鎌倉駅東口から徒歩10分。名越方面行バスで「大町四ツ角」下車徒歩8分。 |
開門時間 | 10:00~16:00 (御朱印・授与品等)*門はいつも開いています |
参拝料 | 志納 |
電話 | 0467-22-0777 |
公式サイト | https://www.myohonji.or.jp/<外部リンク> |
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