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懐かしく、新しい- みんな大好き国民的炭酸飲料

海とサイダーの写真
​ 撮影地:材木座海岸から和賀江島を望む

 

いざ鎌倉の時代から日本有数の観光地、リゾート地として今なお多くの人々が暮らし、訪れる“古都鎌倉”。

日本生まれの炭酸飲料として、130年超にわたり多くの人々の喉を潤し続けてきた“「三ツ矢サイダー」”。

歴史ある街で飲む「三ツ矢サイダー」は、いつもと一味違う美味しさ。安心安全にこだわる1世紀ブランドとの出会いをみなさまにー。

 

鎌倉と「三ツ矢サイダー」の歴史とともに


1884年 「三ツ矢サイダー」の誕生と海水浴の最適地鎌倉の誕生

製造風景の画像明治初期の材木座海岸の写真
当時の製造風景と明治初期の材木座海岸 「鎌倉市中央図書館所蔵」

 

内務省衛生局の初代局長を務めた医師、長与専斎は、明治17年(1884年)に鎌倉の海を海水浴の最適地として紹介しました。明治22年(1889年)、横須賀線の開通もあり、温暖な気候とその風情を好み、移住する人が急増しました。

時を同じくして1881年、イギリス人化学者ウィリアム・ガウランドによる天然鉱泉水の発見が「三ツ矢サイダー」の淵源に。そして1884年、兵庫県多田村(タダムラ)平野から湧き出た炭酸水をびんに詰め「平野水(ヒラノスイ)」として製造されたのが始まりとされています。

 

「三ツ矢サイダー」こぼれ話(1)


“三ツ矢”は源頼朝のご先祖様が由来⁉

誰もが一度は目にしたことのある“三ツ矢”のマーク。当たり前すぎて、その由来についてご存じの方は少ないかもしれません。

三ツ矢マークの由来については平安時代にまで話がさかのぼります。

当時、清和源氏の流れを汲む源満仲が居住地を決めるために鏑矢を天に放ったところ、兵庫県の多田沼に棲みついて住民を苦しめていた「九頭の龍」に命中。満仲は多田沼に築城し、矢を見つけた者に領地と三ツ矢の姓、そして3本の矢羽根の紋を与えたといいます。

三ツ矢のはじまり 紙芝居の画像
​  三ツ矢のはじまり 紙芝居より

 

満仲の居城近く、多田村平野(現在の兵庫県川西市)では天然鉱泉が見つかり、この伝承にちなみ、名称を取り入れた「三ツ矢平野水」「三ツ矢タンサン」が商品として誕生しました。

三ツ矢の由来である満仲は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の祖先で、三男の源頼信を祖とする河内源氏の7代目にあたります。何気なく飲んでいた「三ツ矢サイダー」が頼朝とつながりがあったなんて意外ですね!

 

往時を偲ばせる鉄棒

極楽寺掲題の写真
​  撮影協力:極楽寺(鎌倉市)

 

忍性が開山、二代執権北条義時の三男重時を開基とする極楽寺。かつては、金堂、講堂、十三重の塔などが建つ大寺院でしたが、合戦や火災、地震等により、今では趣のある茅葺の山門と本堂を残すのみとなっています。

そんな極楽寺、戦時中は近所の子どもたちが学びや遊びの場となっていたそう。裏庭にある鉄棒はその名残です。当時はまだまだ高価だった「三ツ矢サイダー」は、時代の成長とともに子どもから大人までが好む国民飲料となっていきます。

 

「三ツ矢サイダー」こぼれ話(2)


日本初の炭酸飲料はペリーの黒船が持ち込んだ⁉

「三ツ矢サイダー」といえば、清く、涼しく、気持ちがスーッと澄みわたる国民的炭酸飲料として有名ですが、日本にはじめて炭酸飲料が入ってきたのはいつ頃でしょうか?
 
日本にはじめて炭酸飲料が持ち込まれたのは1853年。ペリーが黒船で来航した際に、炭酸レモネードが積まれていたといわれています。また、1860年には、長崎に来航したイギリス船がラムネを持ち込み、長崎居住のイタリア人が外国人用として販売したという記録も。
 
「三ツ矢サイダー」のルーツである「平野水(ヒラノスイ)」が発売されたのは、ペリー来航から約30年後の1884年のことでした。日本の歴史とプレイバックできるのも、約130年の歴史を持つ「三ツ矢サイダー」ならではのエピソードかも知れません。

三ツ矢源泉の絵葉書の画像
​三ツ矢源泉 絵葉書より

 

今、安全安心とともに


こんな時代だからこそ、観光地も飲料も安全安心が基本

まちを見守る自販機の写真
写真は、JR鎌倉駅東口駅前「井上蒲鉾店」に設置されたもの​

 

鎌倉の街を見守るアサヒ飲料の「まちを見守る自販機」はアサヒ飲料が開発したクラウド型カメラ付き自販機で、地域の防犯安全に貢献することで自動販売機の価値向上に取り組んでいます。

また、商品の安心面でも、「三ツ矢サイダー」は水にこだわり、「磨かれた水」を使用。磨かれた水とは、安心・安全、おいしさのために、念入りにろ過し、一定範囲内のミネラル分(硬度)に調整した水のこと。保存料は一切使っていません。

https://www.asahiinryo.co.jp/safety/<外部リンク>

 

「三ツ矢サイダー」こぼれ話(3)


宮沢賢治も愛した贅沢品⁉

日本初の炭酸飲料である「三ツ矢サイダー」は、「銀河鉄道の夜」などで知られる作家宮沢賢治も愛飲していました。
  
岩手県花巻での教師時代、賢治は給料が出ると行きつけの蕎麦屋で「天ぷら蕎麦」と「三ツ矢サイダー」を頼んでいたそうです。当時のお金で天ぷら蕎麦が15銭、「三ツ矢サイダー」が23銭。今のお金で換算すると、天ぷら蕎麦がおよそ1,000円、「三ツ矢サイダー」が1,500円ほど。天ぷら蕎麦よりも高い贅沢品だったというから驚きです。
 
賢治が「一杯飲みましょうか」と誘う時はアルコールではなく、サイダーのこと。とても手の届かない贅沢品を、教え子たちにも振舞っていたとか。そんな逸話がいまなお故郷の花巻で受け継がれています。

​「三ツ矢サイダー」の昔の葉書絵
 「三ツ矢サイダー」の昔の葉書絵より

アサヒ飲料×鎌倉市観光協会=サスティナブルツーリズム


「三ツ矢サイダー」「カルピス」「ウィルキンソン」といった日本生まれ、日本育ちの1世紀ブランドを手掛けてきたアサヒ飲料。様々な商品展開をする中で、『健康』『環境』『地域共創』 を“社会との共有価値”<外部リンク>(CSV=Creating Shared Value)と位置づけ、飲む人のワクワク感と笑顔を提供しています。

家族とカルピスの写真
 

そんな、アサヒ飲料は、CSVの観点から、自然環境に配慮した取り組みや社会貢献事業にも積極的に参入しています。

独自に制定した『容器包装2030』もそのひとつ。持続可能な容器包装の実現に向け、2030年までに「リサイクルPET、環境配慮素材」「リデュース」「環境に優しい新容器の開発」という3つの目標をもち、企業全体の課題として取り組んでいます。
 
また、防犯カメラ付き自動販売機「まちを見守る自販機」の普及は、観光客や地域住民の安全安心に役立つだけでなく、観光地の景観に配慮した色彩デザインを採用しています。

 

鎌倉の風景の写真
 

鎌倉市は、自然環境と歴史的遺産を保護する文化都市として発展してきました。鎌倉市観光協会は、サスティナブルツーリズム(持続可能な観光)の一環として、1世紀ブランドを有するアサヒ飲料とともに、国際観光都市鎌倉の“明日”を考えていきます。

 

アサヒ飲料へのリンク画像<外部リンク>